[人間革命の掲示板]

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それでも、あなたは人生に「イエス」と言えるのです!確かに「イエス」と言えるのです!なぜなら………共に考えてみませんか?


「広宣流布の大願」と「仏界の生命」とは一体です。
だからこそ---この誓いに生き抜くとき、人は最も尊く、最も強く、最も大きくなれる。
この誓いを貫く時、仏の勇気、仏の智慧、仏の慈悲が限りなく涌き出てくる。
この誓いに徹しきる時、どんな悩みも変毒為薬し、宿命をも使命へと転じていける。
池田先生


末法御本仏,日蓮大聖人は諸天を動かす宇宙大の大生命力を発現された人間である。
竜の口の法難をはじめ、数々の大難を諸天を動かして勝ち越えられて、
人間には諸天を動かす大生命力があることを実証された。
この大生命力には大なる智慧、大なる慈悲、大なる福徳が備わっている。
この宇宙大の大生命力の当体を南無妙法蓮華経日蓮如来(仏)というのである。

この大生命力を生む鍵は何か。
あの大誓堂に響き渡る池田先生の大生命力の唱題こそ、大聖人の大生命力そのものである。
私たちも南無妙法蓮華経日蓮如来(仏)のご本尊に、あのような大生命力の唱題を上げれば、
大生命力が顕現して諸天を動かし、総てを勝ち越えることが出来るのである。
即ち、生命力の強いことが幸福なのである。
南無妙法蓮華経日蓮如来(仏)


「貧しい境遇に育ち小学校を終えただけで、あとはただ身体を働かせて生きてきたという人達は
大人になってもごく簡単な知識さえもっていないのが普通だ。
ものの好みも、下品な場合が少なくない。
こういう点からだけ見ていけば、君は、自分の方があの人々より上等な人間だと考えるのも無理はない。
しかし、見方を変えて見ると、あの人々こそ、この世の中全体を、がっしりとその背に担いでいる人達なんだ。
君なんかとは比べものにならない立派な人達なんだ。
考えて見たまえ。世の中の人が生きてゆくために必要なものは、どれ一つとして、人間の労働の産物でないものはないじゃないか。
いや、学芸だの、芸術だのという高尚な仕事だって、そのために必要なものは、やはり、すべて
あの人々が額に汗を出して作り出したものだ。
あの人々のあの労働なしには、文明もなければ、世の中の進歩もありはしないのだ。
大きな顔をして自動車の中にそりかえり、素晴らしい邸宅に住んでいる人々の中に、まるで、値打ちのない人間の多いことが解るにちがいない。
また、普通世間から見下されている人々の中に、
頭をさげなければならない人の多いことにも、気がついて来るに違いない。
つつましい尊敬を持つのが本当なんだ。仮にもそれを馬鹿にするなどということは身の程知らない、大間違いだ」

※学会を支えているのは、無名の庶民であり、民衆である。勘違いしてはいけない。故に民衆こそ王者であり仏と仰ぐ学会の指導は正しい。
「君たちはどう生きるか」  吉野源三郎著


キリスト教は、初めは小さな、貧しい集まりにすぎなかった。
草創期はローマ帝国によって徹底的に弾圧された。
そのキリスト教がどのようにして大衆の心をつかみ、ここまで広がったのか。

1、大衆一人一人を「魂をもつ人間」として扱った。
2、自治体も政府も面倒を見ない、一番苦しんでいる「孤児」「未亡人」「病人」の世話をした。
3、何の野心もなく、私心を捨てて、キリスト教の教えのままに大衆の面倒をみた。

弾圧したローマ帝国は滅び、キリスト教は残った。ローマはキリスト教の都となり宗教界の王者となった。
「永遠に崩れぬ妙法の国」をどうやって築くのか。学会の「永遠性」を確立するために、かかせない要件は何か。
“一人”を考える。一人一人を思いやることだ。
創価学会も、民衆一人一人の現実の苦悩に同苦してきた。
どんな競争相手の宗教よりも、どんな政府や役所よりも、「大衆のために尽くした」。
創価学会は、大衆に尽くしぬいてきた。今も尽くしている。だから、大衆の心をつかんだ。
大衆に尽くしたから、勝った。
これが鉄則である。諸君は、この歴史の教訓を、一生涯忘れないでいただきたい。

だれがいちばん偉いのか。“大衆”である。“庶民”である。
現実に、だれが本当に一生懸命、弘教しているか。だれが一心不乱に広宣流布へ働いているか。
それは、ほとんどが婦人部であり、名も無き庶民である。
立派そうな肩書きをもつ人間は、見得を張って、捨て身で戦えない。戦えない人間の、どこが偉いのか。
仏法の眼から見れば、何も偉くない。
「法」---仏法そのものは永遠である。また、七百年前から、大聖人の仏法はあった。
しかし、その大法をもって、「大衆に尽くした」のは、創価学会だけである。

今の世界広宣流布の姿は、私たちが、来る日も、来る日も、「会員に尽くしてきた」から出来上がったのである。
私も四十年、五十年、毎日、朝から晩まで、会員に尽くしてきた。だからこそ日本一、世界一の学会になったのである。
簡単に考えてはならない。

出来上がった基盤の上に、苦労もせず、会員のために生命をすり減らすこともなく、要領よく泳いでいく-----。
今後、指導者が、そのようになったら、おしまいである。

池田先生


知的障害のある彼女達を初めて雇用した。
彼女たちは誰よりも早く出勤した。1時間も前に出社して会社の玄関の開くのを待っていた。
ミスのたびに叱られても、施設に帰りなさいと言われても、会社に残りたいと泣いて訴えた。
なぜ彼女たちはそんなに仕事にこだわるのだろうか。施設にいた方が怒られることもないし、
楽であるはずなのに。

物やお金をもらうのが幸せではない。
人にやさしくされること
人にほめられること
人のお役に立つこと
人に必要とされること

これらが満たされて、はじめて人は幸せを感じることが出来る。
施設では、やさしくされること、ほめられることはあるかもしれない。
しかし、人のお役に立つこと、人に必要とされることは決定的に存在しなかった。
彼女達が会社に残りたいと泣いて訴えた理由はこの事にあったのだ。
「虹色のチョーク」より


「寂光の都ならずば何くも皆苦なるべし」  p467 持妙法華問答抄

目の前のこの現実世界以外に仏国土は存在しない。
それはどこか別の場所にある世界のことでもなければ、未来に実現される世界でもない。
確かに、この地球上では戦火は絶えず、紛争をのがれてくる難民は増え続けている。
不幸を嘆く人は地上に満ち溢れ、エゴと独善は社会を覆っている。
それでも、この現実世界を離れては、いづこにも仏国土は存在しない。
仏の住む仏国土とはこの世界のことであり、仏とは広宣流布に戦う学会員のことである。
妙法を語り広布に戦う処が無上歓喜の仏国土である。
学会の世界を離れては仏国土はどこにも存在しない。

「我らが居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし」
p134 最連房御返事
仏国土


十界論のいわんとするところは
地獄・餓鬼・畜生・修羅の生命は人と社会を不幸にし、菩薩・仏の生命は幸福にするということである。
また、この菩薩・仏の生命で生きることを「人間革命」という。
仏や神といっても人間以上のものは存在しない。人間以上のものはニセモノでありインチキである。
また、仏といっても現実のふるまいは菩薩である。菩薩仏である。
仏国土も、どこか別のところにあるものではない。いつか実現するというものでもない。
今、現実のこの世界が仏国土であるというのが法華経の寿量品の説くところである。
「総て一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは ゆめゆめ想うべからず」
(一生成仏抄)
仏国土


科学は人間を指導することは出来ない。
人間の運命を切り拓き、最後に人間を救い出すものは哲学である。
哲学はきっと科学を征服するだろう。


戦争とは集団的殺人のことである。
殺人(戦争)を目的としない競争こそ最も人間的な人間競争であり、真に人類を偉大な存在とする最高の競争形式となるのである。
この新しい競争形式は平和的生存競争とでも呼ばれるべきものであろう。
この形式が実際にどのような姿になるかは難しい問題である。
私にはよく分からないが、科学と芸術を融合した全く新しい分野が生まれるのではないかという気がする。
そうした平和的生存競争が創造された暁に初めて本当の人間の花が咲く。
これは何と素晴らしいことではないか。
私は勇気が湧いてくるのを感じた。

(牧口初代会長の予見した人道的競争の時代の到来と合致した言葉に感嘆するものである)
日本国憲法 第9条(非武装宣言)を考え出した戦後初内閣の首相 幣原喜重郎
宿命転換と人間革命
一念三千論---自分の一念は三千世間を内包している。自分が変われば三千世間が変わる。
依正不二論---自分と自分を取り囲む環境は一体不二である。自分が変われ環境が変わる。
仏法の法理は自分が変わること、人間革命を指向している。
自分とは何か、生命である。生命を変えることだ。
自身の生命の奥底は大海の如く広大で、総ての生命・宇宙の森羅万象と繋がって一体であるというのが一念三千論である。
故に、自身の生命の変革・人間革命は総ての生命・森羅万象を変革する。
宿命転換は人間革命から始まる。1遍の題目を唱えた瞬間から宿命転換のギアは回転を始める。
この生命の奥底に広がる大海の無限のエネルギーの源が「妙法蓮華経」である。
「如何にして宿命転換をするか」の考察


必ず来る「自分の死」を直視し、
人生の短さを沈思したならば、
支配欲や富に溺れて暮らす愚かさが、わかるはずである。
もてる力を何に使うべきか、
身震いする思いで自覚するはずである。
自分の死後までも残る永遠の価値のために立ち上がるはずである。
池田先生


牧口先生の予見した「人道」の時代が到来

人生地理学の中で牧口先生は人類の発展の段階を四つに分けて論じておられる。
即ち、先ず@「軍事」の競争の時代からA「政治」の競争の時代へ、そしてB「経済」の競争の時代へと移っていく、と。
牧口先生は、当時の世界を、この「経済」中心の時代であるとし、“物事がすべて利害関係によって決まっている”とみられた。
しかし牧口先生は、「経済」が人類の最終段階であるはずがない、と考えておられた。
それでは「経済」の次にくる4番目は何か----。先生はきっぱりと宣言されている。“それは「人道」の時代であると。
「経済的争闘時代に代わって次に来るべきものは人道的競争形式ならんとは吾人の想像に難からざる所なり」
牧口常三郎全集 第三巻
「軍事」や「「政治」「経済」の競争ではなく、「人道」の力こそが世界をリードする時代が必ず来る事を、牧口先生は展望され
ていたのである。
“武力”(軍事)や“権力”(政治)や“財力”(経済)ではなく、人間としての“人格”の力をいかに強め、増していくか----ここに
人類の希望の道がある。また、仏法の大道がある。
牧口先生の卓見のとおり、今や「人間主義」の光が、全世界を照らし始めている。人類が進むべき道は「人間主義」以外にない。
私どもは、仏法を基調とした「平和」「文化」「教育」の力で、「人道の世紀」を晴れ晴れと開いてまいりたい。
(池田先生)

法政大学の水野和夫教授は著書の中で「私たちは今、投資をしても利潤を得ることが困難な『資本主義の終焉』の時代に
突入している」「利益を無限に追求する資本主義がもう限界を迎えている」と述べている。
フランスの経済学者トマ・ピケティは「現代のあらゆる行き詰まりの問題は1%の富裕層と99%の一般大衆の貧富の格差
拡大(1%の富裕層が99%の富を保有している)に起因している。
これらの問題は資本主義がもたらした問題であり、したがって資本主義では解決することは出来ない」と世界的ベストセラー
の著書「21世紀の資本」の中で指摘している。
また、ピケティは同著の中で解決のためには富裕層への課税を強化する事、世界一の富豪であるマイクロソフト創業者が
設立したビル・ゲイツ財団(世界最大の慈善基金財団)のような富裕層による慈善事業をあげているが、これらは「人道的」
対応といえる。まさに現代は牧口先生の予見した「経済」の時代から「人道」の時代へと変わる転換期である。
学会が開いてきた「広宣流布」即ち、「人間主義の世紀」が現実のものとして、私たちの眼前に広がり始めている。
人道の世紀


<迹化の菩薩  本化の菩薩>
一往は
迹化の菩薩とは久遠の本地(南無妙法蓮華経)を開顕していない迹仏に化導された菩薩のこと
本化の菩薩とは久遠の本地を開顕した本仏と一体不二の地涌の菩薩のこと
迹化の菩薩は薬王、妙音、観音、勇勢、普賢など個性豊かである
本化の地涌の菩薩は学会活動において妙法の広宣流布を進めている
再往は
迹化も本化も己心に収まる
本化の地涌の菩薩として自行化他に励んで開拓した仏界の生命力を迹化の菩薩として社会面・生活面で生かしていくのである
薬王(ドクター部)、妙音(芸術部)、観音(公明党)
法華経の会座に置き換えると本化は霊鷲山会(虚空会)の菩薩、迹化は後霊鷲山会の菩薩で両者は一体である(二処三会)
霊鷲山(虚空会)は勤行・学会活動、後霊鷲山会は社会面・生活面の活動である
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大事なのは信心です。社会で活躍するといっても、信心(広宣流布)を忘れてしまったら、本化の菩薩でも迹化の菩薩でもない(池田先生)
法華経の知恵より 


あらゆる権力の軛(くびき)から、そして、宿命の鉄鎖から民衆を解放する
それが創価学会の使命だ!
それが われらの人間主義だ!
私は闘う 断じて戦う!
民衆のため、広布のために。
そして、なにがあっても民衆を守り抜き、民衆の時代を開いてみせる!
新・人間革命 第30巻 雌伏  池田先生


民衆こそ真の王者なり。
学会は民衆の王者である。
学会員一人一人こそ民衆の王者である。
真の王者とは民衆の上に君臨する者ではない。民衆に仕え民衆に尽くす者であらねばならない。
民衆のために闘ってこそ真の王者である。
故に真の王者である我ら学会員は闘うのだ。
そして、闘いに勝つことこそ王者の証明となる。
民衆こそ王者


最後に人間を救い出すのは哲学である。
哲学はきっと科学を征服するだろう。制限のない軍拡競争はいつか破綻する。
新憲法の9条の制定に携わった当時の首相 幣原喜重郎氏


他人に影響を与えない人生に価値はない
脅迫や嫌がらせを受けながら新人王と盗塁王に輝いた黒人初の大リーガー ジャッキー・ロビンソン


山の向こうには、また山がある。
それを越えるたびに、人は偉大になれるのだ。アンデスのような自分になれるのだ。
信仰とは、高貴なる人生とは、みずから「山」をつくり、みずから乗り越え、幾つ越えたかを楽しみにしていける生き方なのである。

(漫然と生きるのは楽かもしれない。だが、それでは成長も喜びもない。あえて眼前の山に挑戦し、制覇し、そして勇んで次の山を目指す。
それが歓喜と充実に満ちた、人間革命の道である)
池田先生


一人の根源的な生命の変革---「人間革命」の思想こそが、人類全体の境涯を高めていく。
この生命尊厳の思想が世界に広まり、人間の生き方の根底が変わっていくならば、人々がいがみ合い、憎しみ合う悲劇を無くす道も開かれる。
憎悪の連鎖から戦争を繰り返してきた人類の宿痾をも、転換していくことが可能となる。
今この時、私達が全世界のSGIの同志と共に、大聖人の人間主義の仏法を語り広める重要な意義はここにある。
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広宣流布とは全人類を幸福にし、平和を築きゆく大偉業だ。
人生を懸けて悔い無き最高にして名誉ある大目的ではないか。
池田先生


もし私たちが空想家のようだといわれるならば、
救いがたい理想主義者のようだといわれるならば、
できもしないことを考えているといわれるならば、
何千回でも答えよう。
“その通りだ”と。
“すべての人間が自分の卑しさを乗り越えながら”
“前進することが可能なのだ”
と答えよう。
「富と資源の分配、そして貧困や人種差別の根絶」のキューバ革命を成し遂げた英雄 エルネスト・チェ・ゲバラ


日本の工業は実に巨大である。
大きな造船所では勤勉で規律ある労働者たちがアリのように数学的な正確さで働く一方、 別の大群では勤勉な娘たちが数学的な正確さを持って、目を凝らして最新のラジオ用の微小なトランジスタを製造している。
工業大国の日本が石油と鉄鉱石という二つの基本的な生産物を輸入しているという事実は
物事を実現するという意志こそが原料の存在より重要であることを表している。
チェ・ゲバラの日本滞在報告書より


やがて、自然から遊離するバベルの塔は倒れる。
人も自然の一部である。
それは人間内部にもあって生命の営みを律する厳然たる摂理であり、恵みである。
科学や経済、医学や農業、あらゆる人の営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう。
それがまっとうな文明だと信じている。
その声は小さくとも、やがて現在が裁かれ、大きな潮流とならざるを得ないだろう。
これが、三十年間の活動を通して得た平凡な結論とメッセージである。
アフガニスタン三十年。1600本の井戸を掘り、25キロに及ぶ用水路を拓いて、 65万人の旱魃難民を救った奇跡の日本人医師・中村哲氏


経済的な豊かさを手に入れることも、信心の実証にはちがいない。
しかし、最重要の実証とは、何があっても負けることのない、人間としての強さと、人を思いやる心をもち、
はつらつとした生き方を確立することだ。
生命の輝き、人格の輝きを発することだ。
池田先生


一人で成り立つ自分はない。自分を見つめるだけの人間は滅ぶ。
他者との関係において自分が成り立っている。
哲学者で精神科医のヤスパース


あなたに敵がいるですって?
でも、それは大事業を成した人、新しい思想を打ち立てた人ならば、
誰にでもいえることです。
光り輝くもののまわりには必ず、雑音を放つ黒雲が群がるものです。
名声に敵が付きものなのは、光には、まわりに群がる羽虫が付きものなのと同じです。
敵など、気になさることはありません。無視すればいいのです。
あなたの人生に曇りがないのですから、心にも静かさをお持ちなさい。
楽しく、ほがらかに、世の喧騒を低くみて、強く生きて下さい。

(敵がいるのは、戦っている証拠だ。敵もいない人間に何が出来るか。笑いとばせ!)
ヴィクトル・ユゴー


生命の続く限り、私は書き続ける。
正しい仏法とは何か。正しい人生とは何か、そして、何が歴史の「真実」か。
人間にとって「正義」の戦いとは何かを。
そこに、人類の未来を開く、一筋の道があるからだ。
「新・人間革命」第一巻の「あとがき」より  池田大作先生


正義  

我一人「正義」の旗持つなり
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誰ひとり、私を守る者はいなかった
昭和54年4月24日 会長辞任 池田大作先生


その広布の大河の流れが  必然であるか否かを  君よ問うなかれ

汝自身の胸中に  自らの汗と労苦により  広布を必然たらしめんとする 

情熱のありや無しやを  常に問え

池田大作先生


正しく真実に哲学している人々が国政を支配する座につくか、
あるいは、現に諸国において政権を握っている人々が、何らかの神の配慮によって、ほんとうに哲学するようになるか、
このどちらかが実現するまでは、
人類が災いから免れることはないであろう。

プラトン 「国家」---政治的権力と哲学的精神の一体化---より


<創価学会仏とは>

アメリカの著名な仏教学者であるクラーク・ストランド氏は、こう述べられておられた。
「歴史的に見ても、新しい宗教革命が起きる時は、その宗教が伝わる勢いは大変なものがあります。
理屈を超えて、人の心から心に伝わっていく。
創価学会を研究してきて、おそらく500年、1000年に一度、誕生するかしないかの偉大な宗教であると確信します」
深く、鋭く見てくださっています。
戸田先生はこう語られたことがあります。
「法華経には、威音王仏(いおんのうぶつ)という仏が登場する。
二万億もの仏が、みな同じ威音王仏という名で、長遠の歳月、衆生を救済してきたと説かれている。
この威音王仏という名も、優れた仏の名であったかもしれないし、また、そういう教団があったとも考えることができる。
同じように、“創価学会”という教団は、必ず未来の教典に(創価学会仏と)金文字で記される」

(これより長遠の歳月を経た後に説かれる法華経には創価学会仏という偉大な仏が登場する。
そのよりどころになる経文は、池田先生の“新・人間革命30巻”であろうことは想像に難くない。
ちょうど、釈迦の説いた法華経28品が末法御本仏日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の依文となった様に)
池田先生  御書と師弟1 より


華やかなスポットライトをあびるのが栄光の人生ではない。
真の栄光の人生とは
迫害の連続の人生のことである。

「忍辱は寂光土なり 此の忍辱の心を釈迦牟尼仏と云えり」

“私は戦い続ける。決して負けはしない”
栄光の人生

<筋トレより凄い耳石パワー>

宇宙では地球の10倍の速さで筋力・骨密度、更に循環機能・免疫力の低下、
即ち身体全体の「老化」が進むことが確認されている。
原因は内耳の奥の「耳石」の存在にあることをNASAが究明した。
地上では重力によって耳石が動くと脳にはたらいて全身へ信号を送り筋肉等を刺激している。
しかし宇宙空間では耳石が無重力状態で浮いているために動きを察知出来ず、
脳からの信号が発信されないのである。
地上に帰還すると耳石が重力に引っ張られて揺れを感知し、その情報が即座に身体全体に伝わる。
老化の現象は止まり元に戻る、即ち「若返る」ことが確認された。
「耳石」は老化を遅らせる「若返りスイッチ」なのである。
また耳石は全身の内臓や血管の働きをコントロールする自律神経ともつながっているため、
耳石がよく動くと自律神経の働きも活発になり、心臓の働きや血流がよくなる。
「若返りスイッチ」である耳石を刺激することで、特別にハードな運動をしなくても脂肪を減らして筋肉を増やし、
様々な病気のリスクを減少させることが出来る。
逆に座り続けることは無重力状態と同様、老化を進行させることになる。(座り病ともいう)
30分に一度立ち上がることで耳石は動いて運動する以上の若返りの効果が確かめられている。


(学会員が一日平均1時間の題目をあげているとすると、一日3000回耳石を振動させていると考えられる。
何年間も寝たきりの病人が入会して、お題目をあげ始めると病気が治り、
布団を畳んだという体験は良く耳にすることである。
御書には『歳は若こうなり』ともあるが、これ等は耳石の振動による『若返りスイッチ』が関係しているとも考えられる)
NHK番組 ためしてガッテン「NASAが発見した若返りの方法」より


快楽型満足感---自己の欲求を満足させる生き方
生きがい型満足感---人の為に生きる、社会に貢献する生き方

“満足感の違い”に遺伝子(DNA)はとても敏感であることが最近の研究で明らかになりました。
人類は社会的な集団生活を行い、生き延びてきました。
つまり、人間の脳や神経は社会とつながり、お互いに助け合うように生物学的にプログラムされているのです。
したがって、人間の生命は「生きがい型満足感」が大きいほど健康長寿ができるようにプログラムされていると考えられます。
逆に「快楽型満足感」、即ち自己中心の欲求を満足させる生き方をしている人の寿命は短命になるように、これもプログラムされていると考えられる。

(十界論でみれば菩薩界の生命の発動こそ健康長寿の源である。
他人(ひと)に尽くす学会員の生き方は医学的・生物学的にみても、理にかなっていて正しいといえる。
また、“脳や神経が社会とつながっている”とは、仏法の説く依正不二の原理の正しさを証明するものである。
時空を超えて祈りは通じ、叶うのである)
 カリフォルニア大学 医学部 スティーブン・コール教授  NHKスペシャル「長寿社会」より


悩むがよい。暗き、深夜を過ぎずして、尊厳なる、曙を見ることが出来ぬ故に     
若き日、苦悩の渦中に記された日記の一文  池田名誉会長

信心の深さで、人生の深さが決まります。”信心”の深さが先なんです。
深くなるほど、人生は幸せ一色になります!     
池田名誉会長

教師は、自身が尊敬の的となる王座を下って、王座に向かう者を指導する公僕となるべきである。     

      (幹部は、自身が尊敬の的となる王座を下って、王座に向かう会員を指導する公僕となるべきである。     
会員は王座に向かう民衆を指導する公僕となるべきである)     
-----法華経の説く「人のふるまい」とは------
初代会長 牧口常三郎
    
大難は怒涛のごとく押し寄せてくる。それが広宣流布の道だ。     
恐れぬな。戸田の弟子ではないか! 地涌の菩薩ではないか!
おまえが広布の旗を掲げずして誰が掲げるのか!
立て!獅子ならば立て! 人間勝利の歴史を、広布の大ドラマを創るのだ!
新・人間革命「源流」より 池田名誉会長

「才」と「徳」とを区別しないことが、人の使い方を誤る原因である。
頭がよくて、意思が強くて屈しないのが「才」である。
正しくまっすぐであり、かたよりがないのが「徳」である。
「才」は「徳」の素材である。「徳」は「才」を導くものである。
才も徳もある人を聖人という
才も徳もない人を愚人という
徳が才に勝る人を君子という
才が徳に勝る人を小人(しょうじん)という
人が、部下として聖人、君子を得ること出来なければ、小人よりは、むしろ愚人を得た方がましだ。
なぜならば君子は徳の導きで才を働かせて善をなすが、小人は徳がないから才を働かせて悪を為すからである。
愚人は悪いことをしようにも、知恵も力も足りないから、たいして悪いことも出来ない。
小人は悪事をやり遂げるに勇気や知恵をもっている。虎に羽が生えたようなものだ。
そういう小人が引き起こす悪は多くないことがあろうか、いや非常に多い。

(才とは人間の能力、徳とは人間性といえようか。長い目で見れば小人より愚人の人の方が成長する。
ゆえに、人材の登用にあたっては『才』の小人ではなく愚直な『愚人』を登用すべきである。
彼は、その愚直な努力で将来、君子にも聖人にも成長していく)
司馬光「資治通鑑」より

詩人は永遠を見る人である。
全身で永遠を感ずるゆえに、彼は諸行の無常を観ずる。
諸物の止まらない流転が目に映るゆえに、この一瞬一瞬のかけがえなさを知る。
詩人は戦う人である。彼は人間の運命に責任を感じる。
彼は、世界のどこかで非人間的に扱われる人間がいることを容認できない。
一人の人間こそ全宇宙という織り物を結びつける結び目であり、
どの一人なくしても宇宙は完全ではないことを彼は感じている。
詩人とは---池田SGI会長

「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を
生死一大事の血脈とは云うなり」(生死一大事血脈抄)

(この世界に於いて、人間を超えた特別なものはどこにも存在しない。
「人間」以外に『仏』はいないのです。人間以上の仏はにせものなのです」(池田名誉会長---法華経の智恵より)
キリスト、マホメット、釈迦、日蓮大聖人等、皆等しく十界互具の生命を有するところの人間以外の何者でもない。
一切衆生と同じく三悪道、四悪諏の生命を内在し、又、一切衆生も同じく仏の智慧と大生命力を発現出来る。
この一念に立った唱題に成仏の血脈は流れる)
仏とは---

学会の世界は、信心の世界です。
信心から出発し、信心で終わる。すべてを信心の眼でとらえていくことが肝要なんです。
では、信心とは何か。
万物の一切が、わが生命に、己心に収まっており、自分自身が妙法蓮華経の当体であり、仏であるとの絶対の確信に立つことです。
大聖人は「総て一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思うべからず」と仰せです。
”自分の胸中に仏の大生命が具わっていることを信じて、ひたすら唱題し、自分を磨いていきなさい。
それ以外に人生の苦しみ、迷いから離れることはできない”というのが、大聖人の教えなんです。
皆さんが、本来、仏なんですよ。その自分を信じ抜くんです。
他人と比べ、一喜一憂する必要はありません。
人間革命29巻 力走23より  池田名誉会長

人間そのものの革命「人間革命」を成し遂げねばならぬ。
これは道徳的宗教的なる「精神革命」、また「文化革命」であり、
これなくしては民主的政治革命も社会的経済革命も空虚であり、失敗に終るであろう。
学問と教養は支配のための特権でなく、国民大衆のために奉仕せしめねばならぬ。
かくの如きは、知性と道徳に関してのみのことでなく、根本に於いて宗教的精神に連なる問題である。
世界はいま一大宗教革命の時代に際会しているのである。
真の宗教は、まづ人間の威厳と自由と創造のためのものでなければならぬ。
これを麻痺し窒息せしむるところの単なる超越主義や教会主義は、此の世と人間を救済するに無力である。
宗教は人間と社会に真理と正義を実現せしめる力の源泉とならねばならぬ。
これを看過するとき、宗教は常に支配階級の利益と既成の秩序を擁護する保守的役割を演ずるにすぎないであろう。
われわれは戦はねばならぬ。
いかなる態度をもって戦うか、それは信仰と歓び、人間に対する尊敬と同情を抱いてでなければならぬ。

(東京帝大の最後の総長であり、戦後、東大の初代総長となった南原繁、彼は終戦直後の吉田内閣のもと、
貴族院議員を務めている大変に優れた人物であります。これは彼の著書から、見出した文献であります。
昭和22年東大卒業式に於ける訓示です。学会が戸田会長のもとで再建の緒に就いたばかりの時、宗教革命を叫んだ学会と、
同じく南原繁の敗戦日本の未来建設のため「今こそ一大宗教革命の時」という主張は不思議にも軌を一にしております。
「真の宗教による人間革命を成し遂げなければ、政治革命も経済革命も失敗に終わる。
人間と社会に真理と正義を実現せしめる力の源泉とならない宗教は、結局は支配階級の利益と既成の秩序を擁護する保守的役割を演ずることとなる」
学会の推進する「広宣流布」という「人間革命」運動を予見する言説であり警鐘とも受け止められる、その先見の明に感嘆するものであります)
東大初代総長 南原 繁(昭和22年 卒業式)

人生最大の栄光とは一度も転ばないことではなく、転ぶたびに立ち上がることだ。
アフリカの人道の大英雄 マンデラ

人間も、また宗教も、社会、時代と共に生きている。
そして、宗教の創始者も、その社会、その時代のなかで教えを説いてきた。
したがって、教えには、不変の法理とともに、国や地域の文化・習慣等の違い、また時代の変化によって、柔軟な対応が求められる可変的な部分とがある。
------------
自分たちの宗教の教えをはじめ、文化、風俗、習慣などを、ことごとく「絶対善」であるとし、
多様性や変化を受け入れようとしない在り方は、結局、自分たちと異なるものを、一方的に「悪」と断じて、差別、排斥していくことになる。
宗教の復権とは、宗教がその本来の使命を果たすことであり、それには、宗教の在り方を問い続けていく作業が必要となる。
自らの不断の改革、向上があってこそ、宗教は社会改革の偉大な力となる。
池田名誉会長

日蓮大聖人の仏法は、権威、権力のための宗教でも、宗教のための宗教でも断じてない。
また、一民族や一国家のための宗教でもない。
まさに人間のため、人類のため、人権のための宗教なのだ。
人種差別も、民族紛争も、根本的な解決の方途は、この日蓮大聖人の仏法を基調としたヒューマニズムのなかに見いだすことができよう。
なれば、広宣流布とは、人間の尊厳と自由と平等とを勝ちとる、人権の闘争にほかならないはずである。
そして、そこにこそ、創価学会の担うべき社会的使命もあろう。
池田名誉会長

<生きることの意味>
ハサミムシの母親は、50位の数の卵を約80日間位大切に守り続ける。 卵が全部かえると、今度は子供達に食べられるままに我が身をまかせて死んでいく。
また、同じようにカマキコバチグモというクモも、卵を大事に守り、子グモたちが生まれると、子グモ達に覆われ、食べられるに身をまかせて死んでいく。
そして子グモたちはそれで十分体力をつけて散っていく。
すべての生物は種の進化のために無償の慈悲を注ぐ。
種の進化こそが生存の目的である。
人間にとっての種の進化とは進歩と成長であり、利他に生きることである。
この、成熟の努力そのものが、宇宙における自分の役割と責任---使命---である
「一人」を大切に他者に尽くす、犠牲になることもいとわない菩薩界の生命こそが宇宙生命の本源(南無妙法蓮華経)の意志である。
自らの絶対的幸福境涯もここに開かれる。
生物のDNAについての一考察

「Q:教授は神を信じないとおっしゃいました。人生哲学は何ですか?

我々は1000億の銀河のうちのひとつの端で、平均的な恒星の周りを回る小さな惑星上の霊長類の中の高度な種の1つでしかありません。
しかし、文明の夜明け以来、人々はこの世の潜在的秩序について理解したがっています。
宇宙の”境界条件”に関しては特別な何かがあるのでしょう。
そして、さらに言えば境界などないのです。
人間の努力にも境界はありません。
我々は皆違います。
いかに不運な人生でも何かやれることはあり、成功できるのです。
命ある限る希望があります。


(ホーキング博士は人間は「広大な宇宙に浮かぶ小さな惑星(地球)の霊長類の中の人間という種にすぎない」というのである。
どこにも天国(神)は存在しない。存在するのは「秩序(法則)」だけであると。
ウソ(虚構)と真実という観点からみれば、人類の50%以上を占めるキリスト教、イスラム教は壮大なウソ(天国=虚構)の上に成り立っている宗教といえる。
しかし、キリストやマホメットは人類を導いた偉大な存在であることにはかわりがない)
天才的な宇宙物理学者 スティーブン・ホーキング博士

革命にも、いろいろある。政治革命、経済革命、産業革命、科学革命、芸術の革命、流通や通信の革命その他、さまざまです。
それらはそれらなりに、意義があり、必要な場合もある。
しかし、何を変えても、一切を動かしている「人間」そのものが無慈悲で、利己主義のままでは、世の中がよくなるわけがない。
だから人間革命というのはいちばん、根本の革命であり、人類にとっていちばん、必要な革命なのです。
戦争直後、東大の総長(南原繁氏)が「人間革命しなければならない」と言ったことは有名です。
人間だけが「向上しよう」「成長しよう」と思うことができる。
ただ流されて生きているだけではなく、もう一歩深い、人間としての方向転換をしようと思うことができる。
いわゆる「偉くなる」というのは、社会の機構上の話です。
人間革命するとは、もっと深い、自分の内面のことです。永遠性のものです。社会的な偉さよりも、はるかに偉いことなのです。
人間は人間です。人間以上のものになれるわけではない。だから「人間として」の自分を変えていくことがいちばん、大事なのです。
名声で自分を飾り、地位で自分を飾り、学歴で飾り、知識で飾り、お金で飾っても、本体の自分自身が貧しければ、貧しく、空虚な人生です。
すべてをはぎ取った、いわば「裸一貫」の自分自身がどうなのか。生命それ自体を変えていくのが人間革命です。
二十世紀は二回も世界大戦を起こしてしまった。何億という人たちが地獄の苦しみを味わった。
その原因は何なのか――それを考えた結論が、「人間自身が慈悲の存在に変わらなければいけない」ということなのです。
道徳の本なら何千年も昔から無数にある。
自己啓発の本などもあるが、言葉だけで人間革命でき、宿命を変えられるならば、苦労はない。
創価学会は抽象論ではなく、一貫して現実の人間革命を追求している。
心を変革し、最高善の方向へもっていく。生きていく。行動していく。
その人間革命は、根本的には、仏の生命と一体の中で、できる。
仏と境智冥合することによって、「自分を変える」力が、自分の中からわいてくるのです。
今、再び国家主義、権力主義が強まっていると多くの人が警告している。半世紀前の大悲劇を皆が忘れかけている。
だから平和を叫びきっている創価学会が大事なのです。
私が入信したのも、戸田先生が戦争中、二年間も牢に入り、軍国主義と戦い抜いた、「それなら、この人は信じられる」と思ったからです。
仏法の内容なんか、わからなかった。戸田先生という「人間」を信じたのです。
そして戸田先生との「師弟不二の道」こそが、私の「人間革命の道」だったのです。
池田名誉会長

仏教を新たに、再生した未来の宗教は、
現在の仏教、キリスト教をも一丸とした、より力強く、より新しく、躍動すべきものでありたい。
仏教が、この自覚の上に、再出発し、再発展し得たときこそ、
将来の宗教の王座に直り、世界的なものになることは想像に難くない。
英国の仏教学者 ジョン・R・ブリンクリー  昭和24年8月号(大白蓮華)に掲載の論文より

どんな状況も必ず変えていけるという信念、
どんなことからも学ぶことがあると考える向上心、
自身が望む方向へ一切を変えていけるという希望を、

全ての人に見いだす人間になれると確信しています。
アメリカ創価大学第12期卒業生 プリンス・ヘトさん

人間自身が、葛藤を繰り返し、瞬間瞬間、心が移ろう、矛盾をはらんだ不確実な存在であると、認識することが大切だと思います。
したがって、その人間を高め成長を図っていくことが、常に的確な判断をしていくうえで、極めて大事であると考えます。
---------
人間の生命には、本来、汲めども尽きぬ英知の泉が具わっており、その泉を掘り当て、汲み上げていく方途を、仏法は教えています。
この生命の法則に根ざして、自身の可能性を開いていくことを、私どもは人間革命と呼んでいます。
池田名誉会長(世界的ベストセラー 不確実性の時代の著者 ガルブレイス博士との対談で)

社会は必ず変革出来る。そしてそれは一人一人の人間の内なる変革から始まる
池田名誉会長

総て一代八万の聖教・三世十法の諸仏菩薩も我が心の外にありとは ゆめゆめ思うべからず
日蓮大聖人「 一生成仏抄」

「宗教は進化し続けなければならない」


(変転する時代に適合し続けるか否か。それ以上に、新たな時代を創造する英知を提供し続けられるか否か。そこにこそ宗教の進化の証は輝く)
歴史学者 アーノルド・トインビー

「健康」とは何か。
その結論は「菩薩の生命」です。
人のために闘い続ける一念--------それが真の「健康」だと私は思う。
ただ”健康食品”を食べ、自分のことだけ考えて、安楽な暮らしを願う--------それが健康だとは思わない。
「健康」を象徴する薬王菩薩は、信念に「殉教」した菩薩であった。
「戦う生命」それが「健康な生命」です。
池田名誉会長 「法華経の智恵」より

病魔と闘う人は、
仏界という崇高な山を登っている人です。
山頂に立てば、雄大な素晴らしい眺めを楽しむことができます。
今のすべての労苦は永遠の幸福を築くための財産となります
池田名誉会長

サリバン先生は、自分のような者のために、その一生を捧げきって死んで行かれた。
それこそ完全な奉仕の生涯である。
残されたわたしこそ、その連続でなければならない。
あなたのランプの灯を今少し高く掲げてください。
見えぬ人々の行く手を照らすために-----。
三重苦を背負いながら名門ハーバード大学を首席で卒業、心の豊かさ、精神の力によって栄誉を勝ちとり、そして生涯を心身障害者の幸福のために捧げ尽くした
ヘレン・ケラー女史

何もしなければ苦情もない。
仕事をするということは文句を言われるということだ
田中角栄

迷うことなく突き進め! 恐れなく前へ前へ!
そうすれば、結果は必ず、わが方についてくる
池田名誉会長

人生は「自分をつくる」戦闘です。「自分を開花させる」間断なき闘争です。
向上するには戦うしかない。
池田名誉会長
 
本当の話には必ず批判があります。
後に賞を受けたような報道は必ず、その渦中では反論を浴び、圧力や批判を受ける。
だからこそ、ひるんではならないのです。
ドクメンタリー映画監督 スウェーデン人のフレドリック・ゲルテン監督

誰も置き去りにしない。誰一人として見捨ててはならない。
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苦悩の民衆がいる限り、創価学会の戦いに終わりはない。
池田名誉会長

波騒(なみさい)は世の常である。
波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚(ざこ)は歌い雑魚は踊る。
けれど、誰が知ろう、
百尺下の水の心を。水のふかさを
吉川英治著「宮本武蔵」

私の生涯もまた、迫害につぐ迫害であろう。
しかし、私は戦い続ける。
決して負けはしない。
悲哀の宿命から、人間を解放することが、私の使命であるからだ。
南米独立の英雄 サン・マルティンの記念館の銘版に刻まれた池田SGI会長の言葉

まずは、ひとりの人間を救ってください。
ひとりというのは巨大な数です。もしあなたがひとりを救うならば、あなたは十人を救うことにもなるのです。
そのひとりは、自分のまわりにいる他の十人を教育するからです。
北アイルランド紛争に尽力されたベティ・ウイリアムズ女史(ノーベル平和賞受賞)

貧乏とは少ししか持っていないことではなく、
無限に欲があり、いくらあっても満足しないことです。
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余計なものを消費するために働いて、
そのために人生という時間が逃げて行ったとしたら、それは幸せなんだろうか
---------
大切なものは人と話し合う時間なんだ。それが本当の生きている時間なんだ。

(給料の大半を貧しい人のために寄付し、大統領の公邸には住まず、農場で奥さんと暮らす。大統領専用車は使わず、
古い愛車を自分で運転して大統領の仕事に向かう。身なりに全くかまわない彼をウルグアイの人は親しみをこめてペペと呼んでいる)
世界で一番貧しい大統領といわれたウルグアイの前大統領ホセ・ムヒカ

過去の権力者が日本人の体内に植えつけた「隣邦の民族への偏見」という毒草を、
徹底的に駆除し、根絶しなければならない。
そうしなければ、日本人の人間性の回復は出来ないだろう。
韓日友好は、誰のためでもない。
第一に、日本人自身の魂の浄化のためなのである。
------------
今、誰もが「共生」を口にする。
しかし、差別を温存したまま、「共生」を主張することは、暴力である。
私はそう思う。
池田名誉会長

(疲れをとるには、なんと言っても、よく眠ることですね)
そうだね。「眠り」は、一種の「小さな死」です。大宇宙の生命の海に、いったん心身を浸す作業です。
その休息によって、生命力が充電され、次の日への新しい活力を得る。
それと同じように、「死」も生命力の充電です。
老いたり、病気になった身体は、いったん宇宙生命の「蘇生の海」に帰って、
さっぱりとして、新しい元気な身体になったほうが良い場合がある。
これは、その人の信心の状態、宿業などによって、いちがいには言えない。
ただ言えることは、「薬王菩薩の信心」をやり通した人は、必ず、次はもっと福々しい生命で、
生まれたいところに生まれてこられるということです。
要は「死」の時に、大宇宙のどこに、何界に溶け込んでいくかです。
「仏界」に溶け込んでいけば、何歳で死んでも「永遠の生命」を得た人といえる。
「寿量品」を身で読んだ人です。「不老不死」の境涯に連なっている。
どんなに長生きしても、最後が三悪道・四悪趣であれば、はかない人生です。
永遠の生命から見れば、五十年や七十年の違いなど「瞬時」とすら言えない。
池田名誉会長 「法華経の智恵」より

幸せになるためには、幸せにする哲学が必要になる。
人生を勝利するためには、勝利のための哲学の実践が必要だ。愚かでは幸せにはなれない。
どこまでも、英知をみがき人格の向上を図らなければ幸福は獲得出来ない。
それでも現実は厳しい。更に過酷でさえある。
宿命という壁が立ちはだかっているから。
その困難を前に人は立ちすくむ。
宿命

発迹顕本は大聖人ただお一人の発迹顕本ではありません。
大聖人を手本として万人の根源の境地を示した法理が「発迹顕本」です。
自身の利己的な欲望に突き動かされ、宿業と苦悩に覆われていた凡夫の身が、久遠元初の生命に立ち返るのです。
自分自身も仏、皆も仏、自他共に尊極の生命を開き、真の自己の偉大な底力を顕して、
誰もが自身の胸中の無尽蔵の宝蔵を現実の人生のなかで開き切っていく事が発迹顕本なのです。
池田名誉会長

宇宙の法則は本来人間の生命の中にも宿っているのだ。
このことを悟る時、はじめて人間は自分の力を信ずることが出来る。
インドの大詩人 タゴール

私たちは異なる関心や才能を持ち、異なる国から来ました。
しかし、私たちは皆、同じゴールに向かって進んでいるのです。
それは、貢献的人生を送る世界市民に成長することです!
今年(2015年)アメリカ創価大学に入学した韓国出身のダニーン・キムさん

人は その時が来たのだ、という 雪崩がおこるのは 雪崩の季節がきたため、と。

平和 永遠の平和 平和一色の銀世界

そうだ、平和という言葉が  この狭くなった日本の国土に 粉雪のように舞い どっさり降り積もっていた。

------------

人はざわめき出し その時が来た、という  季節にはさからえないのだ、と。

雪はとうに降りやんでしまった、

降り積もった雪の下には

もう ちいさく 野心や いつわりや 欲望の芽がかくされていて

“ すべてがそうなってきたのだから 仕方がない” という ひとつの言葉が 遠い嶺(みね)のあたりでころげ出すと もう他の雪をさそって

しかたがない、 しかたがない、 しかたがないと、 落ちてくる。

嗚呼(ああ)  あの雪崩、 あの言葉の だんだん勢(いきお)いづき 次第に拡がってくるのが それが近づいてくるのが

私にはきこえる
 私にはきこえる。
詩人 石垣りん 「雪崩(なだれ)のとき」

「功徳とは六根清浄の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり」
日蓮大聖人 御義口伝

「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く。所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」
「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」
(不軽菩薩は一切衆生の生命に仏界があるという理屈の上から拝んだのではない。彼の眼前に居る一切衆生が「仏」に見えたのだ。
信心が深まれば、自他共にすべてが「仏」に見える。無量の「仏」に会える。無量の「仏」に囲まれて生きることが出来る。
この境地を絶対的幸福と言い、一生成仏というのである)
日蓮大聖人

<真の平等>
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。
されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きを持つものなり。
されど、今、広くこの人間世界を見渡すに、
かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。
されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。(福沢諭吉 学問のススメ)
(一面の真理ではある。しかし、学問を修めても愚かで、貧しく、下人もいる。所詮、宿命転換して人間革命することが肝要である。
大聖人は信・行・学を説く、「学ぶ」ことは、そのひとつである。いかなる哲学を信仰し実践するかが、より重要である)

その人が十界(地獄界から仏界)の”何界”にいるかによって、見ている世界が違う。空間も、時間も、生命の受けとめ方がまったく違う。
この一点を見るのが仏法なのです。
人間という存在を、人種によって見るのでもない。学歴で見るのでも、社会的地位で見るのでもない。その人の「境涯」そのもの、生命そのものを、まっすぐ見つめる。
権力者だから偉いのか。権力者にも餓鬼界、畜生界の人間もいる。庶民の中に菩薩界、仏界の人間がいる。
有名大学を出たから優秀なのか。ある人種だから優れているのか。ある階級の人は、はじめから劣っているのか。
そうではない。しかし、人間をそういう邪見で見てきたのが、これまでの人類史です。それが、どれほどの悲劇を生んできたことか----。
ナチズムや日本の国家主義など、二十世紀の歴史はまさに、そういう邪見の悲劇でした。
あらゆる残酷な「差別」も、そういう邪見・偏見の産物です。今の学歴主義などもそうです。
仏法の十界論は、あらゆる人を、その境涯で見る。だから平等なのです。
財産のある人でも、貧しい人でも、今の一瞬が「地獄界」の苦しみにあえいでいれば、同じだからです。
そして、あらゆる人の中に「仏界」の可能性を見て、それを開いていこうという慈悲が十界論の眼目です。
故に、信仰の目的は何か? 境涯を変えることです。高めることです。
「仏界」の境涯をひらくためです。
十界論----「法華経の知恵」より

「公明党は広宣流布のために、私が結成しました」とは公明党創立者の池田先生の明言である。
民衆の平和と幸福に尽くす公明党議員の使命と私たち学会員の使命は全く同じである。
根本は慈悲の精神であり、その源泉は御本尊への唱題にある。
共に、人間革命を基軸にした広宣流布の闘いである。
故に、公明党議員諸氏に於かれても、日々の勤行・唱題を根本に自行・化他の信心を貫いてこそ、自身の宿命を転換して人間革命(成仏)し、今世の使命を果たすことが出来る。
いうまでもなく日々の議員活動は「仕事」であって「学会活動」ではない。
一般の学会員は会社での仕事を通して社会貢献をして、議員は市民相談・議会活動という仕事を通して社会貢献をしている。
いずれに於いても「仕事」という次元は同じである。
 「議員も座談会に出席するのだ。しかし、政治の話はしなくてよい」と先生はある時、厳しく指導をされました。
「あらゆる全ての活動は学会伝統の座談会に集約される。座談会こそ広宣流布の大船であり、人間革命の道場である」 これは、永遠に変わらぬ学会の根本の指導であります。
座談会に出席して仏法求道の心を燃え上がらせてこそ、地涌の菩薩の使命と誓願を果たすことが出来ます。
確かに歴史の中で、公明党と学会は分離した時代がありました。そうせざるを得ない政治的事情も存在しました。
しかし、法華経の哲理からして学会の信仰から離れては、公明党も又議員の存在も有り得ないのであります。
創価学会と公明党という団体の存在は別々であっても、議員一人一人に於かれては学会の組織・同志・師匠という善知識を離れて、仏道を全うすることは不可能であります。
これまでも、権力の魔性に負けて、信心を食い破られた公明党議員が少なからず存在しました。
信心に肩書きは必要ありません。裸一貫になって、学会の庭に飛び込み、共に広宣流布の同志として歩んでまいりたい。
故に、学会の拠点を使用しての党の会合では、まず勤行をすることは当然であります。
  最後に公明党の立党精神である「大衆と共に語り・・・」という大衆とは、名も無き学会員こそ大衆の代表であり、そして座談会こそ、この大衆との語らいの場であることを自覚していただきたい。
又、学会の組織も公明党議員ということで特別視せず、一会員として仏道修行をして、宿命転換と人間革命(成仏)への歩みを共にする同志であるとの平等感を大切にし、
配慮もして手を差し伸べることを忘れない様にしたいと思うものであります。
公明党議員と信仰についての一考察

「生命は永遠である」ということは
今世の生命の境涯が、そのまま来世に継続するということである。
六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)で今世を終われば来世は六道の境涯に生まれ、四聖(声門・縁覚・菩薩・仏)は引き続き四聖に生まれてくる。
したがって、今世で宿命転換して、境涯を出来るだけ高く上げておかねばならない必然性が出てくる。
ここに学会活動即仏道修行に励む必要性と価値がある。
永遠の生命

民主主義に必要なのは
批判精神をもち、自分の頭で思考する個人です。
ムソリーニの演説(ファシズム---全体主義)に熱狂した人々は、
個人ではなく、他者と一体化した群れでした。
イタリアの哲学者 ノルベルト・ボッピオ

法華経の化城喩品に説かれる
化城とは三乗(声門・縁覚・菩薩)であり、宝処とは一仏乗である。
またこの品の意は、
化城とは仏道修行の途中で叶えられる功徳であり、
そこで、満足すべきではなく、宝処すなわち仏の境涯をめざすべきであるということである。
しかし、大聖人は「化城即宝処なり」と説かれている。
このことは、広宣流布に生き、行動している只今、そのままの現実の姿が宝処(仏)であり、
いつの日にか宝処という仏の境涯に到達するというのではないということである。
法華経 化城喩品

あらゆる人間以外の生命形態は
成長してその個性をあらわすか、生まれながらに個性をあらわすかしている
人間だけはその発生において未完成のままで、したがって
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教育とか教養を身につけることによって
-----------
自身を完成しなければならない、自分の個性を自身の手で作りあげていかなければならない。
古代ローマの哲学者 キケロ

最後の勝利は
喜ぶ人の多い少ないによるのではなく、
永遠に進撃を続ける人の多い少ないによる。
中華民国建国の思想的リーダー 魯迅

心配いりません。必ず幸せになります。私が断言しておきます。
大女優が悲劇のヒロインを演じるように、あなたも、堂々と、その悲しみの淵から立ち上がる人間革命の大ドラマを演じてください。

人は皆、人生という原野をゆく開拓者です。
自分の人生は自分で開き、耕していく以外にありません。
信心というクワを振るい、幸福の種を蒔き、粘り強く頑張ることです。
広宣流布のために流した汗は、珠玉の福運となり、永遠にあなたを荘厳していきます。
池田名誉会長

世渡り上手が利口なの?私はそうは思わない。
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人生いろいろです。
いいことあれば御本尊様にお題目。困ったときにもお題目。
結局は、お題目中心に生きる人を「利口な人」と私は呼ぶの。
------------
人生ですもの。そうでしょ。
全部が素直にいったら、どうかしてるわよ
苦労をしたから、私は強くなれたの。人生に楽な道なんてないわ。
大事なのは、いいことばかりだと、いいことに気付かなくなるってこと。
悪いことが起きるから、ささいなことに幸せを感じられるの。
だから私たちは、御本尊様に「ここのところを何とか乗り越えさせてください」と一生懸命にお題目をあげるのよ。
苦しみは自分を強く育ててくれる。
すべて信心のおかげさま。
これが百年の人生で学んだことです。
「101歳になって見えたもの」 東京都品川区 伊藤冨美さん

誰かに 励まして欲しい時   誰かを励ましてみよう  /  誰かが 元気になったとき  自分も元気になれるから
「第30回三木露風賞〜新しい童謡コンクール」で最優秀賞に輝いた 
文芸部員の富岡みち女史の詩より


少(わか)くして学べば、則(すなわ)ち壮にして為(な)すこと有り。
壮にして学べば、 則ち老いて衰(おとろ)えず。老(お)いて学べば、則ち死して朽(く)ちず
春風を以って 人に接し  /    秋霜以って 自ら粛(つつし)む
佐藤一斎『言志四録』

「南無妙法蓮華経」という久遠の大生命のリズムは「広宣流布」の中にこそ脈動している
「広宣流布」を離れて法華経の魂は存在しない
人類は必ず生命の本源の妙法の方向へ、仏界の方向へと向かい、自分が宇宙と一体であるという真理に目覚めていく
これが誰人も止めることの出来ない「広宣流布」である。
その推進を担える私たちは、人間として最高の名誉であることは間違いない
「法華経の智恵」より
<
心配のない世界で
ストレスもひずみもない生活を想像するのは心楽しいことかもしれないが、
これは怠け者の夢にすぎない。
-----------
地球は憩いの場所ではない。 人間は、必ずしも自分のためではなく、永遠に進んでいく情緒的、知能的、倫理的発展のために、戦うように選ばれているのだ。
危険の真っ只中で伸びていくことこそ、魂の法則であるから、
それが人類の宿命なのである。
世界的医学者 ルネ・デュボス博士

人は、自分の心が信じたとおりの人生を歩んでいる。
健康も、家庭も、経済も、すべて自分の心が信じたとおりに動いて、きずかれている。
「心は巧みなる絵師のごとし」と、又、「心の一法よりて国土世間も出来するなり」と。
故に、祈ろう!お題目をあげよう!
この信仰は最高の人生軌道を創りゆく唯一の道なのだから。
信仰者の道

公明党は民衆の時代をひらくために誕生した政党である。
当時、自民党は資本家側、社会党は労働者(組合)側という不毛の対立の政治が繰り返されていた。
民衆に眼を向け、民衆のことを考える政治家はどこにもいなかった。
政治は誰のためにあるのか。
第三極として民衆のために結成された政治集団が公明党である。
その政策の柱には「福祉」を置いた。日本の政治に福祉の理念を置いた初めての政党である。
貧しい人々、苦しんでいる人々、一番弱い立場の人々に光を当てる福祉政策。時の政治家は皆、バカにした。
しかし、今、福祉を口にしない政治家も政党もいない。
公明党は確かに日本の政治の歴史を変えたのだ。
私たちは皆、貧しかった、しかし、心は豊かだった、あかあかと燃えていた。
私たちは戦った、日本の政治の夜明けを信じて。
手弁当で、バカにされながら、一人また一人と対話して公明党の真実を語りぬいた。
こうして、名もなき民衆の手で育てられて、今日の公明党がある。
私たちはこれからも戦う。民衆の時代の太陽が昇りきるまで。
民衆の党 公明党

人と直接かかわることでしか、平和は作れない
イスラム過激派組織に拘束されているジャーナリスト 後藤健二さん

我が運命(さだめ)  かくもあるかと思いせば  惑うことなし恐れることなし
池田名誉会長

三十二相八十種好の色相荘厳の仏は現実には実在しないのです。
仏とは菩薩の姿、菩薩仏以外には存在しません。
地獄界から菩薩界までの九界の中にしか仏は存在しません。この九界の中に生きる凡夫こそ本仏です。
色相荘厳の完全なる仏が説かれたのは、人間の理想の存在として人間を向上させ、修行させるためです。
仏とは「久遠とははたらかさず、つくろわず、もとのままと云う義なり」とあるように「久遠元初の如来」とも「無作の三身の仏」ともいいます。
はたらかさずとは途中から出来たのではない、本有ということです。
つくろわずとは、三十二相八十種好を具足していない凡夫のありのままということです。
本有常住であり、もとのまま、これを久遠といい、南無妙法蓮華経の御本尊のことです。
「無作の三身」以外のつくられた色相荘厳の仏とは「夢の中」の仮の仏である。
立派そうな格好をしている仏は「夢の中」の存在で実在しないのです。
「無作の三身」即ち、ありのままの凡夫こそが久遠元初の実在の仏で、もともと本有常住の仏なのです。

ありのままの凡夫が久遠元初の瑞々しい生命を我が身に涌き出だす、これこそ唯一、実在の仏なのです。
人間以外に仏はいません。人間以上の仏はにせものです。
だから、人間らしく、どこまでも向上の道、求道の道を生きて行く、その人が仏です。
名もなく、貧しいただの人、その人こそが最高に尊いのです。広宣流布に進むただの人こそが仏です。
実はこれこそが「如来秘密」の「秘密」なのです。
これを教えるために釈迦は法華経を説いたのです。
ありのままの凡夫、人間以外に仏は居ないという人間主義への転換です。
「日蓮と同意ならば」と大聖人が仰せのように、広宣流布へ進む、我が同志こそ現代の仏です。
それ以外に仏は居ません。

二十一世紀は凡夫こそ本仏であると開顕していく人間主義の世紀です。
これまでの色相荘厳の仏が上、凡夫が下という仏法をまったく立て直すのです。
仏をあがめる世紀から、凡夫が菩薩仏として輝いていく人間主義の世紀へ、これが私どもの進める広宣流布です
「法華経の智恵」より

しゃく門は「菩薩行を実践して仏に成る」という立場をとります。
本門は「久遠の仏が菩薩行を実践する」という立場をとります。
仏になろうと一生懸命、努力してきたと思ったが、
法華経の山に登って見れば、一気に視界が開けて、宇宙の大パノラマが見えてきた。
そこでは本有常住の久遠の仏が休みなく十界の衆生を導いて菩薩行をしておられる。
その振る舞いは久遠から三世にわたって不断に続き、変わることがない。
そして自分自身を見ると、久遠の凡夫として、仏と師弟不二である。
師弟一体で広宣流布へ、菩薩行をしている。
そういう生命の深き実相を、法華経の会座の衆生に示すのが本門です。
池田名誉会長---「法華経の智恵」より

学会の財務は、地涌の菩薩が、広宣流布の一日も早からんことを願って自発的にするものです。
その無私な心、志が、無量の善根となるのです。
病気や経済苦等の諸々の悩みに付け込んでお金や財産を集めるのは新興宗教の騙しの手段である。
徳勝童子は仏に土の餅を供養して、その功徳で後の世にアソカ大王に生まれました。
もしも、徳勝童子が、この餅を供養すれば、大王になれる(あるいは、なりたい)と思っていたら、はたしてアソカ大王に生まれていたでしょうか。
貧しい貧女が髪を切って、わずかばかりの油を買い、その灯火(ともしび)を供養した。
金銀財宝を供養した、あまたの長者をさしおいて、仏の境涯を得たのは、この貧しい貧女でありました。
なぜか、仏典にはこの貧女の誓願が残されております。
「願わくば、この功徳をもって、あまねく一切衆生の無明の闇を照らす知恵の光明を我に与えたまえ」
民衆の幸福と平和を願う「広宣流布の志」にこそ、仏の境涯はあるのです。
「凡夫は志と申す文字を心得て仏になり候なり」
これが私どもの広宣流布のための財務です。
財務

喜とは自他共に喜ぶ事なり
自他共に智恵と慈悲と有るを喜とは云うなり
所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり
(仏法は利己主義ではない。誰かを幸せにするとき、自分も幸福になる)
日蓮大聖人

至誠にして動かさざる者は、未だ之れあらざるなり
吉田松陰(孟子)

キリスト教やイスラム教に限らず、ほとんどの宗教は自分の外(神)に救いを求める。
これに対して仏教では、自身の内面に充実・向上を求める。いわゆる悟達である。
画家のゴーギャンがタヒチで描いた大作に書かれていた有名な言葉。
『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』
この言葉は仏教哲学、なかんずく法華経の根底にある問いに近い言葉である。
その意味では法華経は
人間(生命)のルーツを解き明かした経典と言っても良い。
賢者の智恵
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思考が出来なくなると
平凡な生活を送る市民が平凡であるがゆえに、無思想的に巨大な悪を実行して残虐行為に走るのです。
“思考の風”がもたらすものは知識ではありません。
善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。
私が望むのは、
考えることで人間が強くなることです。
危機的状況にあっても考え抜くことで、破滅に至らぬよう
名著「全体主義の起源」を著した哲学者 アンナ・ハーレント

遠い将来、私たちの孫のまた孫の、後続の時代を経たあと、
人々がそこに発掘するものは、つねに「人間」なのである。
その時には、社会主義とか資本主義とかいう体制の次元をはるかに越えて、
人類がいかに人間らしい文化を生み出したのか------その創造性の奥にひそむ人間生命の輝きこそが、
人々の胸をとらえるであろうことは、予想に難くない
池田名誉会長(レニングラードのエルミタージュ美術館を訪問された時の印象記より)

仏法の真髄は、何かに頼るものではない。
自分自身が、自分自身の決意と、自分自身の努力で、自分自身を開いていくのです。
頼らない。自分が立ち上がる。同情もいらない。感傷もいらない。誰が励ましてくれなくてもいい。
自分が決然と、そして朗らかに立ち上がって、自分を変え、周囲を変え、社会を変え、国土まで変えていくのです。
これが一念三千です。
観念論ではない。何かにすがる、弱弱しい生き方ではない。
かといって、″我、尊し″と驕る利己主義でもない。
自分の中の「大いなる生命力」を信じることは、万人の中の「大いなる生命力」を信ずることと一体です。
自分を大切にし、同じように、人を大切にしていくのが仏法です。
池田名誉会長 「法華経の智恵第4巻」より

現代ほど、人間が「何のため」を忘れ、自分自身を小さな存在に貶めている時代はない。
社会の巨大なシステム(制度や機構)の中で、
「自分の力などたかが知れている。自分一人が何かしたところで、世の中が変わるわけはない。
うまく社会に適応して生きていくのが精一杯だ」こうした無力感が、人々の心を覆っている。
自分を小さな存在と思い込まされ、疑問すら抱けなくなっている。疑問さえもたず、安住してしまっている。
そうした精神の不毛さが、ますます人間を小さくしています。
法華経の教えは、こうした卑小なる人間の限界を打破するものです。
「しかたがない」という、凍てついた。あきらめの大地を叩き壊すのが涌出品です。
自分の生命の偉大さに気付かないゆえに、小さな枝葉末節にとらわれてしまう。
民族とか人種とか。性別とか社会的地位とか。
そうした、あらゆる差異を突き抜け、″裸一貫″の、ありのままの凡夫、「人間丸出し」の根源の力で人々を救うのが地涌の菩薩です。
「人間の底力」「民衆の底力」を、晴れ晴れと、巍々堂々と満天下に示していく戦いです。
「法華経の智恵」より

経済の背後に政治あり、政治の背後に社会あり、社会の背後に道徳あり、道徳の背後に宗教あり。
宗教は始めにして経済は終わりなり
内村鑑三

まず共産党員が狙われた。
わたしは黙っていた。 わたしは共産党員ではないから。
次に社会主義者が狙われた。
わたしは黙っていた。 わたしは社会主義者ではないから。
次に労働組合員が狙われた。
わたしは黙っていた。 わたしは労働組合員ではないから。
次にユダヤ人が狙われた。
わたしは黙っていた。 わたしはユダヤ人ではないから。
次にカトリック教徒が狙われた。
わたしは黙っていた。 わたしはカトリック教徒ではないから。
次にわたしが狙われた。
わたしのために声をあげてくれる人は、一人も残っていなかった。
ドイツの詩人 マルティン・ニーメラー(今年のノーベル平和賞マララさんの著書より)

多くの現代人にとって「信じること」なかんずく「信仰」は
理性に反する行為か、少なくとも理性を眠らせる側面をもつと考えられている。
確かに、そういう狂信的宗教が存在することも事実ですが、
だからといって検証もせず「すべて宗教が同じだ」というのは飛躍であり、それこそ理性に反する。
根拠なき盲信の類と断じて良いでしょう。
高等宗教は本来、理性をないがしろにしていない。
人間の理性を抑圧しながら、人類の普遍的な信頼を勝ち取ることは不可能です。
なかんずく「知恵の宗教」といわれる仏法は、きわめて理性的な宗教です。
人間を超越した人格神など信じない。
仏法の「信」とは、
理性を振り捨てて、盲信的に帰依するというような「狂信」では決してない。
敬虔な探究心を出発点として智恵を育んでいこうとする、理性的な精神の営みなのです。
正しき「信」の効用は心を洗い清らかにすることです。
心が清らかであってこそ智恵は輝くのです。
仏法の「信」は、「限りなき向上」へのエンジンです。
知性を含めた全生命を向上させ、秘めた力を発揮させていく原動力です。
崩れざる幸せは、外からやってくるのではない。
すべて我が内なる生命から馥郁と薫り出してくるのです。
仏法の信は、本当の自分の確立です。
そして宇宙大の無限の地平が自分自身の生命に開かれていることに気付くことです。
池田名誉会長(「法華経の智恵」より)

私どもも、御本尊のおかげで幸福になれた。
御本尊を教えてくれた創価学会のおかげで正しい人生を知った。
その「報恩の一念」が奥底あれば、福運は加速度的に増していく。
どんなに表面は行動しているようであっても、「報恩の心」がなければ、その増上慢が福運を消していく。
境涯革命もできない。
わずかな一念の違いが、百八十度違う結果になってしまう。
組織のうえで偉くなっても、社会で出世しても、「報恩」の行動を忘れたら、身は堕ちねども心は堕ちた姿です。
「法華経の知恵」より 池田名誉会長

すべての原点は人間にある。
人間自身の変革なくしては、人々の幸福も、社会の繁栄もない。
人間革命こそが、人間賛歌の世紀をひらく、根源の力となる
それには、いかなる生き方が重要になるのか。
それは、地道な実践です。
一攫千金を追い求めるような生き方では人生の勝利も、広宣流布の本当の前進もありません。
大事なことは、しっかりと、自身を磨き鍛え、社会に、深く信頼の根を張っていくことです。
長い目で見た時、時代の流れは、地道さが求められる時代にならざるを得ない。
基礎がしっかりと築かれていなければ、時代の変化のなかで、はかなく崩れ去っていきます。
人生も広宣流布も持久戦です。
したがって、地道に精進を重ね、持続の信心、水の流れるような信心を貫いた人が、最後は勝ちます。
堅実な戦いの積み重ねが、広宣流布の新しい時代を開いていくんです。
そして、人生を勝利するための信心の土台を築きあげていくのは、青年時代しかないことを心に刻み、
広布大願に生き抜いていただきたいのであります
創価学会名誉会長 池田大作

高木は風雪に耐えて 益々高く
樹根は大地に張って 益々深し
天下に憂いをいたして 想いかえして考えるのである
高く飛ばんと欲すれば 深く学ばざるべからず
早稲田大学創立者 大隈重信 遺訓

なすべきことを、なにがなんでも遂行する--------これが誓願です。それは不抜の力の城壁になります。
ガンジー

民主主義の社会では、
51%の支持を得た政策や思想が社会の動向を決するシステムとなっています。
しかし、本当に未来の社会の動向を決定するのは、わずか5%の、活動的で献身的な人々の力なのです。
その5%の人々がやがて文化の総体を変革していくのです。
私たちは、”平和の文化”を創造するために、ここにいるのです。そのために生まれてきたのです。
平和が誕生するということは、太陽が毎日、昇るようなものです。日々、平和は生まれ続けるのです。
平和研究の母 エリース・ポールディング博士

学会員は他者を思いやる心に満ちた偉大な庶民
2014.6.13 聖教新聞 識者

自分の性格は、大事な自分の個性ですから、人と比べて卑下したり、羨ましがったりする必要はないんです。
梅は桜になることは出来ないし、桜も梅になることは出来ません。
大切なことは、自分は自分らしく輝いていくことです。
信心を貫き通していくならば、人が真似することの出来ない、自分らしい最高の魅力を発揮していくことが出来るんです。
H26.6.5付聖教新聞 「新・人間革命」より

☆御本尊の扉を開くことは、勝利の扉を開くことなんだよ。
☆題目を唱えるなら、誰かの為に祈りなさい。そうすれば、すべてがうまくいくから。
☆池田先生とともに進みなさい。そうすれば、何も恐れるものはないよ。
749世帯の弘教を実らせたブラジル広布の母 マダレナ・ランディさん

人間は「宇宙」と呼ばれる全体の一部であり、時空間に限局された部分である。
彼は自分の思考や感情を他のすべてとは分離したものとして経験する。
これはいわば意識における視覚的錯覚である。
その錯覚はわれわれにとって一種の監獄であり、人間を個人的な決定に縛りつけ、
近くにいる少数の人たちにしか愛を注げなくしている。
我々の課題は、一切の生きものと美しい自然全体に共感の輪を広げることによって、
われわれをこの監獄から開放することでなければならない。
アインシュタイン

何百年にもわたって受け入れられてきた人間に対する概念そのものを変えなければ、この地球に未来があるかどうかは疑わしい。
もし、明日があるとすれば、地球と地上にある一切のものに対する聖なる敬意が再び生まれなければならないからだ。
アメリカの臨床医師ラリー・ドッシー博士

救いを求める人から 人々を救う人へ
仏の声を聞く人から 仏の声を聞かせる菩薩へ変わる
これが人間革命です。
他人(ひと)の幸福に尽くした分だけ、自分も幸福になる。
これが仏法の幸福論です。
創価学会名誉会長 池田大作

どのような状況にあっても、
自分自身が深く偉大な信心に立てば、すべて開いていける。
自分が変わり、自分が成長し、自分が責任を持てば、一切を勝利できるのだ。
要は自分だ。自分自身に生き抜くことだ。
--------
希望も絶望も、他人からもたらされるものではない。境遇でもない。
ただ自分からくるのだ。ゆえに自分自身に生ききれ!
創価学会第2代会長 戸田城聖

誰が、本当に広宣流布を推進してくださっているのか-----
私はじっと見ています。
もしも、要領主義がまかり通り、捨て身になって戦いもせず、
人の努力を自分の手柄のように報告だけしている者がリーダーになって君臨していけば、真面目な会員がかわいそうです。
そんな創価学会にしてはならない。
新・人間革命「正義」

経済的な豊かさを手に入れることも、信心の実証にはちがいない。
しかし、最重要の実証とは、何があっても負けることのない、人間としての強さと、人を思いやる心をもち、
はつらつとした生き方を確立することだ。
生命の輝き、人格の輝きを発することだ。
新・人間革命 「正義」より

順風満帆に生きて、苦労もせずに、成功を収めた人などいません。
失敗も挫折もなく、人生の勝利者になった人もいません。
泣く思いで苦労に耐え、何度も絶望の淵に立ちながら、粘り強く、前へ前へと進んでいった人が、人生の勝利者になっているんです。
創価学会名誉会長 池田大作
若き日に人生の師に巡り合い、真実の人間の練磨を受けることは、青春の最高の誉れである。
この人生の真髄がわかれば、富や名声などの飾りに惑わされることもないし、何ものをも恐れることはない。
池田名誉会長 「遺筆 新・人間革命」

心の一法により国土世間も出来する事なり 一代聖教とは此の事を説きたるなり 此れを八万四千の法蔵とは云うなり
(困難を絶望の壁と見るか、成長への糧と見るか、一念の変革で未来は大きく変わる)
日蓮大聖人「総勧文抄」

外面的に、いかに幸せそうに見えても、本当に幸せかどうかは、わからない。
物質的、環境的に、どれほどめぐまれたとしても、幸福とは限らない。
自分自身が、人間として成長する。境涯を高める。心を磨き、心を鍛える。それが、幸福の根本である。
創価学会名誉会長 池田大作

人は 人を生かしながらでなければ生きられない
友を生かすとき ほかならぬ自分も 真に生きる!
文化は 異文化を尊重してこそ さらに豊かな可能性を芽生えさせよう!
自然の生命を尊重してこそ 人間もまた 生きながらえる!
創価学会名誉会長 池田大作

祈り---それはあきらめない勇気だ。
自分には無理だと、うなだれる惰弱さを叩き出す戦いだ。
”現状は変えられる!必ず!”。
確信を命の底に刻み込む作業だ。
祈り---それは恐怖の破壊なのだ。悲哀の追放なのだ。
希望の点火なのだ。
運命のシナリオを書きかえる革命なのだ。
自らを信じよ!卑下するなかれ!卑下は仏法への違背だ。
胸中の仏界への冒涜だからだ。
祈り---それは我が生命のギアを大宇宙の回転に噛み合わせる挑戦だ。
宇宙に包まれていた自分が宇宙を包返し、全宇宙を味方にして、
幸福へ幸福へと回転し始める逆転のドラマなのだ。
人間は人間---その人間の可能性の扉を次から次へと開いていく《鍵》が祈りなのである。
創価学会名誉会長 池田大作

他人への奉仕のなかにこそ、
真の自己実現の道があり、幸福の源があるのです。
アメリカの宗教ジャーナリスト クラーク・ストランド氏

民衆と共に進む人こそ、真実の法を弘める仏法の指導者です。
ゆえに幹部になり、信心が深まるほど、いよいよわが身を低くし、謙虚に、礼儀正しく、同志を敬い、尽くしていくべきです。
創価学会名誉会長 池田大作

人間の心がより深い、清らかな幸福感に満たされるのは、けっしてエゴを満たしたときでなく、利他を満たしたときである。
また賢明な人は、そのように他人のために尽くすことが、他人の利だけにとどまらず、
めぐりめぐって自分も利することに気づいているものです。
京セラ 名誉会長 稲盛和夫

学びつづけ、成長しつづけ、達成をくり返すことの中にこそ、脳が感じる幸福はあります。
脳にとっての幸福とは、静的、固定的なものではなく、変化のダイナミズムの中にあるのです。
「もう学ばなくてもいい、成長しなくてもいい」と
現状に満足してしまったら、脳はそこで成長を止めてしまうどころか衰え始めてしまうのです。
なぜなら「知りたい、学びたい」という、脳の本能に反する生き方であるからです。
脳科学者 中野信子著 「脳科学からみた『祈り』」より

私がもし社会学を修めていなかったら、また、法華経の信仰に入っていなかったなら、私は善良な友人たちのように、
なるべく周囲の機嫌を損ねないよう、悪いことを見ても見ぬふりをし、
言いたいことも控えめにして、
人にかわいがられなければ損であるという主義を守っておれたであろう。
創価学会初代会長 牧口常三郎

汝の精神の門と、歩み行く道を、勤勉をもって開け。書物が汝に、力強い腕(かいな)を与えることだろう
ブルガリア・ソフィア大学
御聖訓には、「心の一法より国土世間も出来(しゅったい)する事なり」と仰せである。
大事なのは「心」だ。広布に戦う「魂(たましい)」だ。
自分が変われば周囲が変わる。周囲が変われば世界が変わる。
「心の一法」の在り方で、全てを変えていくことができる。
創価学会名誉会長 池田大作

緑が生い茂る牧草地を探すのではなく、自分の手で牧草地を切り開け!
そして、大学で学んだ知識を人々のために提供せよ!
創価学会名誉会長 池田大作

仏法は「人間」そのものをみる。
その人の「心」「生命」を見るのが仏法です。
仏教徒でなくとも「菩薩界」の人がいる。反対に仏教徒でも”外道”の人がいる。
見かけは信心しているようでも、心は「餓鬼界」の人もいる。
「何教徒か」を見るのではない、その人の生命が「何界か」を見るのが仏法なのです。
そして全ての人の中の仏界を開くための仏法です。
世間は「差別(差異)」の世界である。仏法は「出世間」です。
出世間とは、あらゆる表面の差異を超えて、人間の「いのち」を見るということです。
「人間への尊敬」が根本理念、その究極は「万人が仏である」と礼拝する法華経の信念である。
私達は仏教を通して人間を尊敬することを学んだ。
創価学会名誉会長 池田大作「法華経の智恵」より

俗世間に生き、さまざまな苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、
やがて息絶えるその日まで、倦まず弛まず一生懸命生きていく。
そのプロセスそのものを磨き砂として、
おのれの人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも高い次元の魂をもってこの世を去っていく。
私はこのことより他に、人間が生きる目的はないと思うのです。
--------
労苦とは、おのれの人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。
京セラ 名誉会長 稲盛和夫著「生きる」より

この世に生まれて、
一言にても法の説けることをご本尊に感謝して、
慎み深くあらねばならぬ。
創価学会第二代会長 戸田城聖

人間は生きてさえいれば再びチャンスがある
国連難民高等弁務官を務めた 緒方貞子女史

「成仏=仏になる」というゴールがあって、そこにたどりついたらもう菩薩行をしなくてもよいというのなら、
それ以後は脳にとってなんの刺激もない、退屈な状態に苦しみ続けなければならなくなってしまいます。
幸福感は感じられず、脳もどんどん衰えていってしまうでしよう。
一般に、「仏」というと安らかで厳かなイメージがあるかもしれませんが、もしも仏がそのような静的な存在だとすれば、
脳科学的見地からは幸福にはほど遠いことになってしまいます。
真の仏とはそうではなく、衆生を救うために次から次へと困難に立ち向かい、
利他の行動を生涯最後の日までつづける存在なのです。
脳の仕組みから見ても、それこそが最高に幸せな生き方、脳が喜ぶ生き方だと思います。
脳科学者 中野信子著 「脳科学からみた『祈り』」より

基礎のある人は強い。
時の流れに朽ちることがない。
時とともに向上し、不滅の輝きを放っていける。
創価学会名誉会長 池田大作

わずかな知識は人に慢心を起こさせるが、大いなる知識は人を謙虚にする。
イタリア・ルネサンスの巨人 レオナルド・ダ・ビンチ

人類における、すべての偉大な教師は、自分のためではなく、他の人のために奉仕するという人生を生きてきました。
他者に尽くしてこそ、真に満足できる人生を実感することができるのだと思います。
アフリカの環境の母 ワンガリ・マータイ博士

あらゆる偉大な文明が滅びた理由は、ある意味で、
それが固定化し、新しい状況、新しい方法、そして、新しい考え方に柔軟に適応できなくなったからです。
アメリカ「人権の母」エレノア・ルーズベルト

世に、いまだかって、誠実でなくして偉大となった人間はいない。
内村鑑三

多くの努力なしに、永続的なものは何も生まれない。
(偉大な人物とは)
超自然的な近寄り難い能力をもった半ば神のような人間ではなく
彼らは何よりも努力と献身の人であった。
人間性を失った宗教は、
人間がつくった最もおそまつなものである。
奴隷制度の廃止のために戦った勇敢な米国の女性 ソジャーナ